【父母OBのつぶやき】

其の十七


坂口さんの想い・・・

 西宮市、兵庫県、全国と全身全霊を掛けて学童保育への情熱を傾け…近隣での全国研究集会を目前に亡くなられた坂口さん…
倒れた当日は自ら救急車の要請をし…家族への連絡を知人へ託し…知人から当方へと連絡があった…県西へ緊急入院となったが緊急手術の為、県尼へと緊急搬送…
心筋梗塞だと聞いた。
手術も無事に成功したと聞き…知人を通じて、元気だよと聞いた。


 坂口さんは根っからの学童っ子…当方が学童に関わる前に知り合った時には…「わしゃ、まだ学童なんや…みんな極道って言うけどな…」と顔一面にシワを作り笑っていた。
「早よ、学童に来たらいい…、中々、学童は止められない。」
まだ、保育所に娘がいるのに…何がそれ程までに学童はよいのだろうか…
知り合う方々は皆…学童を悪く言う事もなく…作り運動での苦しみも…楽しい時間だったと言う…

 保育所での父母会について色々とアドバイスをして頂いている方も坂口さんとは旧知の仲…様々な逸話も聞いた。
夜を徹してまで話し合いをして…行政との懇談会を当番で順に責め続けたり…
当然、父母同士での言い争いもし…理解しあい…
仕事ではない分、対等に議論し…学童保育をより確実な制度の下に保証させる。

 当然の如く、学童保育へ深く関わっている坂口さんではあるが…市連協へは?、県連協へは?、全国へは…緊急手術が済み、意識もハッキリとして無事に回復していると聞き…まだ、ICUだと知りつつも、面会が出来れば、学童関係者への連絡事項を代わりに伝えねばと病院へ…しかし、案の定、面会が許されなかった為、坂口さんが倒れ、緊急手術をされた事を全国連協に…休日だったにも関わらず、連絡をする事が出来た。

やはり、あと数日後の全国研究集会へも関わっていた様で…激務な日々を送っていたな…と半分、呆れた感じではいた…


まだまだ、そんな事で志し半ばでの事だった。

翌日…仕事からの帰路につくと…メールが…
坂口さんの訃報だった。
同じく、県連協役員をされていた方の携帯番号を聞いた。

西宮市でも長年、市連協役員でもあり、同じ坂口さんと学童の作り運動を続けた方へ電車内にも関わらず、電話をした…

「ちゃんと僕が葬儀場まで送ったよ…」
何も言えず…溢れ出そうな涙を堪えて…「ありがとうございます。」その一言が精一杯だった。


 学童へ小学校入学から関わり…話に聞いた雰囲気とは異なるものだった。
学童を理解するために父母会役員でもしてみようと思ったが…保育所から顔見知りの方に「保育所での父母会では会長をしていたから無理にする必要はないと…」役員から外された…しばらくして市連協の総会で…最後に判らない会計報告への質問をした事を皮切りに…一斉に質問が出始めた…
毎年の様に何事もなく総会は終わっていたが…今回は会計報告以外を承認して…改めて会計報告をする事になってしまった。

 一年が経ち…娘が通う学童では定員問題が一年間、議論されていて…保育所で個人請願を出した事で父母会への参加も慌ただしくなった。
ちょうど、同じ父母会で市連協の会長もいて…市連協役員にならないかと誘われ始めた。
学童の2年目に定員問題では学校の空き教室を使っての学童が始まり、父母会もそれぞれに分けて運営する事になり、分室…今で言う第二学童の父母会会長になった。
会長になってもやはり、市連協からの誘いがあり、今更、会長職を辞退して市連協役員って訳には行かない…このまま、市連協役員と合わせれば色々と情報を早く得られると考えて役員も引き受けた。

 単に会議に出るだけと思っていたが…市連協ニュースを任されてしまった…
坂口さんからは…「文字だらけで誰も読まんぞ…」と言われたが…何故か続投…
学童の3年目では父母会では副会長になり、市連協では事務局長…
「お前がやらな…誰がするねん。」の一言だった。
市連協での坂口さんはアドバイザー的な存在。
いつもポイント、ポイントで…どの様に問題を捉えるのか…代表者会議で説明しても…中々、理解してもらえない事に関しては…「自分自身が理解出来ていない事を説明しても誰も判らんで…」だった。
坂口さん自身…県での取り組みや全国での取り組みで忙しかったのか…それ以降は自由に活動をさせてもらった。
市連協事務所から近い事もあり、ニュースの印刷やレジメ印刷で合っては今はこんな状況ですよって伝える程度だった。
特に方向性が間違っていなければ現役父母の意見を尊重してくれた。

 娘も学童を卒業し…僕自身も学童から卒業をせねばならなかった。
同じ学童に関わる父母達と自由な意見交換…対行政へは仕事への負担もあり、辛い時期もあった…必ずしも活動に対しての評価はされないのも十分に理解していた。
学童保育にはそれても何が惹かれるモノがある。
1年の事務局長を通じて…様々な方に気軽に声を掛けてもらえた。
対行政へのアドバイスも求められもした。
しかし、その根底に坂口さんが「現役父母の意志を尊重させる事が一番なんや…」と教えてくれた言葉が耳から離れない。
娘の学童の卒業と共に市連協から身を引く決意をし、役員会で話した際…残らないかと坂口さんから言われたのは一度…
何かあれば手伝えるが…現役でない為、理想になり、現役との温度差を埋める術をしらないので…と身を引いた。

 何だか頭の中が空っぽな一年を過ごした。
学童保育の面白さは教えてられて判るのではなく、身近に関わって判るモノなのだ…

学童保育に関わった3年間は凄く濃い3年間だった。

最近になってまでもご近所の市会議員から学童に関わる諸問題について話をしてくれる。
しかし…寂しいもので、学童保育への関わりを断ってしまった。

 そんな中でたまに坂口さんとは道ですれ違っても会釈程度だ。
時間があれば学童はどうなってますか…と聞くと…「相変わらず、行政が余計な問題ばかり出してくる」…と話してくれる。
坂口さん自身はやはり、学童保育そのものを法により、確実に保証されるまで頑張り続けて行くのだと感じた。

 突然の坂口さんの訃報…市連協OB役員からお通夜が終わった際に市連協へアドバイザーとして役員へ加わって欲しいと頼まれた。

 学童から離れて8年…
何が出来るのだろうか…坂口さんの様な器用な生き方は出来ないし…
でも…僕自身が教えてもらった事を…次に伝える役目を坂口さんが与えてくれたのかも知れない…


僕自身が伝えられる事は…



学童保育はやはり、楽しいのだ…


 お通夜、告別式と…学童保育について色々と教えてくれた方と参列した。

皆、落胆の色は隠せないでいる。
もっとも身近な親友として、参列していた方は気丈に振舞ってはいたが、やはり背中が泣いていた。

様々な事を思い出しながら…ふと立ち止まって空を見上げていた。


 市連協への参加の件…引き受けようとその時思った。
坂口さん自身が全身全霊を懸け、築きあげようとしていた学童とは何なのか…もう一度、確かめてみたいと思った。


僕自身が出来る事…学ばなきゃならない事…

今の学童保育をどの様にするのか…現役父母達への坂口さんからの大きな宿題なのかも知れない。


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